今やラグビー日本代表不動のスクラムハーフである田中史朗(たなか ふみあき)選手。
2015年に開催されたラグビーワールドカップでも大活躍し、その才能は一躍注目を集めました。
そんな田中史朗選手を献身的に支えているのが可愛いと評判の奥様。
ここでは、田中史朗選手のプロフィールや経歴とともに、可愛い奥様との出会い、そして奥様に伝えた感動的な言葉をご紹介!
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田中史朗の身長は?プロフィール
生年月日 :1985年1月3日
出身地 :京都府
身 長 :166㎝
体 重 :75㎏
出身高校 :京都市立伏見工業高等学校
出身大学 :京都産業大学
所 属 :パナソニックワイルドナイツ
ポジション :スクラムハーフ
ニックネーム:フミ、フーミン、ジャック
座右の銘 :信は力なり
趣 味 :UFOキャッチャー
田中史朗の経歴は?
ラグビーの強豪校、伏見工業高校で頭角を現した田中史朗選手。1年生の時には優勝を経験しています。
大学は京都産業大学へ進学。2006年大学3年時、大学選手権での9年ぶり準決勝進出に貢献し、全国のラグビーファンの間に名前が知れ渡りました。
大学卒業後は三洋電機ワイルドナイツ(現・パナソニックワイルドナイツ)へ進み、すぐにレギュラーポジションを獲得。加入した年に優勝を果たし、自らも新人賞とベスト15に輝いています。
社会人2年目の2008年に日本代表へ初選出され、2011年のラグビーワールドカップへも出場を果たしました。
しかし、ワールドカップでの戦績は予選リーグ全敗と惨憺たるもので、田中史朗選手は相当悔しい思いをしたようです。
2012年には自分を鼓舞するかのように世界最高峰のスーパーラグビーに参戦。
4シーズンを戦い、世界に通用するラグビーを身につけました。
そして2015年のワールドカップではラグビー史に残る南アフリカ共和国を撃破する大金星に貢献。
南アフリカ共和国との対戦後、田中史朗選手は他の選手とともに男泣き。
こうした選手たちの姿に日本中が感動しましたよね。
決勝トーナメントへの進出は逃したものの予選リーグ3勝1敗の健闘ぶりから空前のラグビーブームが巻き起こりました。
2019年のラグビーワールドカップは日本開催。現在の田中史朗選手は「パナソニックワイルドナイツ」所属でトップリーグに出場しながら、ワールドカップに向け調整を続けています。
田中史朗の嫁との出会いは合コン!?
引用元:https://i0.wp.com/entitiesgraph.com/wp-content/uploads/2015/11/743-3.jpg
田中史朗選手の奥様は可愛い、という話はラグビーファンの間では有名です。しかし、練習や試合、はたまた海外遠征などで大忙しの田中史朗選手はどのようにして美人妻をゲットしたのか大変気になるところ。調べてみると興味深い事実が・・・。
田中史朗選手と奥様の智美さんはかつて同じ会社に在籍しており(当時は三洋電機)田中史朗選手はラグビー部、智美さんはバドミントン部に所属していました。
ある年ラグビー部のリーグ戦優勝を祝うパーティーがバドミントン部と合同で開催されたそうです。
たまたま田中史朗選手はパーティーに参加できなかったのですが、智美さんと知り合ったラグビー部のメンバーから後日紹介してもらいお付き合いが始まったとのこと。
これは間接的な合コンですよね?(笑)。
田中史朗選手は、智美さんみたいな可愛い人を紹介してくれた同僚にきっと感謝しているのではないでしょうか。
まさに持つべきものは友ですね♪
嫁に伝えた感動の言葉とは?
2011年のワールドカップで日本代表は、世界の強豪チーム相手に次々とトライを奪われ惨敗を喫しました。田中史朗選手は相手の突進を
「死ぬ気で止めておけばよかった」
と後悔の念を強く持っていたといいます。
そして迎えた2015年ワールドカップの南アフリカ共和国との一戦を前に田中史朗選手は妻の智美さんにこんな言葉をかけたそうです。
「命がけで戦うから、もし俺が死んだら新しいいい人見つけてな」
この言葉どおり、死ぬ気で戦い抜いた田中史朗選手は歴史的勝利を手にしたのです。
支えてくれた妻を思う気持ちが表れた男気溢れるこの言葉が勝利を手繰り寄せたに違いありません。
あとがき
小さい体ながら豊富な運動量とガッツ溢れるプレーでファンを魅了する田中史朗選手。2019年のラグビーワールドカップではどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
ファンのため、そして愛する家族のために躍動する田中史朗選手に注目が集まります!